「原発メーカー訴訟は原発体制との闘い」 6/12/2014

tmp00108「原発メーカー訴訟は原発体制との闘い」崔勝久、『月刊むすぶ』520号、2014年5月1日発行

はじめに
私は3.11の福島事故により、人は国籍や民族にかかわりなく、大きな災害に遭って一緒に死ぬんだということをあらためて強く感じました。
私はモンゴル、韓国、台湾を何度も訪問するようになり、何か具体的な行動をアジア全体で起こそうという話しから、NPO法人NNAA(No Nukes Asia Actions)の立ち上げにかかわることになりました。

その活動の中で、福島事故を起こした原発メーカーはどうして社会的な制裁を受けないのか、どうして彼らは3.11以降、何の謝罪もなく原発輸出を続けているのか、という疑問を持つようになりました。そして行き着いたのが原発メーカー訴訟です。

原発メーカー訴訟とは何か
原発体制の実態

戦後、安全神話の下、経済発展を願って作り上げた原発は国内で48基に及び、福島事故のあと現在は全て運転停止されています。15万人を越える人が故郷を離れ家族ばらばらで生きることを与儀なくされ、共同体は崩壊し、未だ垂れ流しの汚染水なのに安倍首相は世界に向かって「under control」(管理できている)と嘘をついてオリンピックを誘致しました。いつ大爆発を起こすかもしれない原子炉は廃炉にするのに何10年もかかり、これまで溜められた使用済み核燃料はその処理の仕方さえ不明です。しかし安倍政権はそれでも再稼働を強行しようとしています。

地震か津波か、事故の原因もわからないのに、日本政府の新経済政策の旗印の下、ヴェトナム、リトアニア、ヨルダン、トルコ、台湾そしてさらにアメリカや英国など多くの国に原発輸出をしようと画策しています。原発はIAEA(国際原子力機関)の発表した報告では、2013年現在、世界全体で337基の原発があり、2030年までに289基を作る計画だそうです。そのとき、世界の原発の半分は経済成長を願うアジアに集中することになるでしょう。

台湾の第四原発はGEの傘下で日立、東芝、三菱重工が建設を請け負ったものですが、ほぼ完成している原発の廃炉を求めて昨年は20万人デモが台湾全土で起こりました。リトアニアは国民投票で原発反対の姿勢をあきらかにしたにもかかわらずまだ日立はあきらめていないようです。地震で名だかいトルコにも安倍首相は触手をのばし、地元住民の反対にもかかわらず建設を決めています。インドネシアやインド、ポーランド、中国にも日本は具体的な原発建設の計画を進めています。

原発メーカーは事故があっても免責される背景
福島第一事故を起こした原発メーカーはその第1号がアメリカのGeneral Electric社で、その他はGEから技術を学んだ後で日立、東芝が独自に製造したものです。彼らは3.11事故の後も何の批判を受けることなく、また事故に対する一切のコメント、謝罪の言葉もなく、まるで何事もなかったかのように原発輸出を続けており、それを政府が日本の新経済政策の柱のひとつとして税金を使い全面的にバックアップしています。

原発メーカーの責任が問われないのは、事業者(東京電力)以外の責任は問わないで事業者に責任集中する、原子力損害賠償法(原賠法)という1961年に作られた法律が存在するからです。そこでは「製造物責任法の規定は適応しない」(3条3項)と原発メーカーの責任の免責を明記しています。

つまり、東電に全部責任を取らせ被災者への賠償金を払わせ、足りない分は政府が援助する仕組みになっています。その賠償金は1200億円の保険金と市民から取った電気料金と税金というパブリック・マネーで賄います。そうして原発メーカーには責任を負わせず、「原子力事業の健全な発展」(一条)のために自由に世界に輸出させるという構図になっているのです。

「原子力の平和利用」は原発体制を補完するもの
日本の原発体制はアメリカの核政策の一環として作られたものです。「原子力の平和利用」という名の下で、アメリカを中心とした列強が作りあげた、核を独占し列強以外には核兵器を作らせない、持たせないとするNPT(核不拡散条約)こそ、列強の核による世界支配政策です。安全保障というのは核の恐怖を前提にしているのです。

「原子力の平和利用」を旗印に、核兵器を作らないという条件でアメリカが日本に原子力発電所建設を認め、完全に核の支配下に置いてきたのです。日本の戦後の平和と繁栄はまさにアメリカの核の傘の下でのみ可能でした。

安全神話と情報の秘匿で守られてきた原発は、今や3.11事故によって54基あったうちすべて、運転できない状態になりました。しかし安倍政権は再稼働を公言し、原子力発電所の使用済核燃料からウランとプルトニウムを取り出す再処理計画を継続すると宣言します。国際的な共同管理という名目で海外に使用済み核燃料を埋蔵する案は今も残っています。それは、モンゴルだと私は思います。

日本は敗戦に際しても、公害・薬害においても、その事件を起こした責任者の責任を徹底的に問うことをしませんでした。戦争責任も曖昧なまま済まされてきました。福島事故にして然りです。被害者の立場で徹底して加害者の追及をしてこなかったことが、実は自分たちの加害者の立場を忘却し、加害者である現実を直視しようとしないということと重なります。原発輸出国になるということは福島のような事態を外国でも起こす可能性があることであり、日本社会で住む者は加害者の立場に立つということです。

残念ながら日本の脱原発運動は「再稼働反対」をシングル・イッシュ化したため、日本が原発輸出をしていることを正面から取りあげることが少なかったようにおもいます。特に台湾の第4原発は日本の輸出第一号で、GEの傘下で日立、東芝、三菱重工が建設したものです。それに対して第4原発の廃炉を求める台湾の運動は昨年、20万人のデモになりました。私たちたちは彼らの運動を支持し、連帯の行動をとるべきではないでしょうか。
日本は二度と戦争に参加してはならず、加害者の立場になってはいけないのです。日本の企業が輸出した原発が事故を起こしても法的にはメーカーに責任はないということになっていますが、しかし本当にそれで済むでしょうか。原発メーカー訴訟は、メーカーの免責を謳うことで原発の拡散を謀る原発体制の構造に切り込む闘争です。

市民の国際連帯運動の拡がりを
原発は実は核兵器です。原発を輸入した国の人びとは何10年にわたり原発事故、放射能の恐怖に怯えて生きなければなりません。原発メーカー訴訟で主張する私たちの根本理念は、ノー・ニュークス権(No Nukes Rights:原子力の恐怖から免れて生きる権利)です。
国を超え、世界の反核を願う市民との国際連帯運動を拡げることで、原爆の被害者(日韓両政府は原爆2世の遺伝を認めていない)、劣性ウラン武器の犠牲者、ウラン採掘場・原子炉の中で働く労働者、スリーマイル島・チェルノブイリそして福島で放射能を浴びた人たち、そして放射能の食物汚染にたえず怯える多くの普通の人びと、これらの人びと共に、20世紀に入って列強がはじめた原爆投下、原爆実験、原発事故に対して、「原子力の恐怖から免れて生きる権利」(No Nukes Rights:ノー・ニュークス権)を主張するときがきたのです。

そのために全世界で100万人の署名活動を始めます。東京地裁に宛てたもので、原発メーカーの責任を明らかにして、これから人類が原子力の恐怖に怯えることのない世の中にするための勇気ある判決を求めるものです。

また今年の9月26-30日にNo Nukes Asia Forum (NNAF) 2014 in Taiwanを計画しています。台湾の国会を占拠した学生を支持する市民50万人がデモをしました。その動きは第4原発廃炉の動きを加速するでしょう。韓国、モンゴル、インドネシア、フィリピンなどの国、地方から多くの人が参加します。みなさんもご一緒に台湾に行きましょう!
日本の各地で原発訴訟を起こしている原告団が団結する動きを見せています。私たちもその動きに加わり、さらに全アジアに運動につなげていくことになるでしょう。

原発メーカー訴訟についてはホームページとフェイスブックをご覧ください。日々の状況と私たちのやろうすることをお分かりになると思います。特に、HPにある訴状は是非、ご一読願います。みなさんとともに歩みたいと願います。
HP:http://maker-sosho.main.jp/
FB:https://www.facebook.com/makersosho

最後に

日本はこれからどうなるのでしょうか。「積極的な平和主義」が国是になるような勢いです。特定秘密法の成立、憲法解釈の変更による集団自衛権の行使、憲法「改悪」の動き、ヘイトスピーチや嫌韓・嫌中の雰囲気が拡がるなか国境の島の所属をめぐってナショナリムズが喚起されていきます。このようなときこそ、私たち市民が国籍や民族を超え、国際連帯運動を拡げるべきではないでしょうか。

日本と同じように、台湾、韓国においても代議員制民主主義は形骸化し、選ばれた政治の専門家に任せるのではなく、市民自らが社会変革に参加すべきだという声が大きくなって来ています。

みなさんのますますのご活躍を祈念し、共に歩めることを喜んでおります。機会がありましたら、原発メーカー訴訟がどのようなものか学習会をもっていただければ、私たちも弁護士と共に喜んで参加させていただきます。

             崔 勝久
原発メーカー訴訟の会・NNAA事務局長