米国在住原告サム・カンノ氏の提案

「原発メーカー製造物責任追及イシュー」対「マイノリティ差別反対の踏み絵イシュー」
の限界を明確にして“反原発を実現する闘いの一環としてメーカー訴訟を進めよう”

崔前事務局長を中心とする「本人訴訟」派の皆さんは、島弁護士による「製造物責任追及とのシングル・イシューに限った訴訟」を認めない原告を切る(=代理人を辞任する)との処置が、「弁護士職務規定に違反する」として代理人を解任し、「原発は全世界的な差別構造の上に成り立つ」として、本人訴訟を提起しているわけですが、私のように依然島弁護士に「委任した」原告でいて、両者への批判をする者は許さないと言っているのですか? しかし崔勝久氏は他人に島弁護士への「懲戒申請」をけしかけたり、島「訴状」に於ける「原賠法に依拠した損害賠償」を批判し、原発の存在そのものが人々の「不安」と「恐怖」を招くとして、それに対する損害賠償として100万円を請求するそうですね。またそれを島訴訟と「相補う訴訟」だとも言っています。自分の言論・行動のすべては許されるが、他の人間のそれは駄目ということですね。

崔氏の訴訟に向けた「第1準備書面」は問題だらけで「口頭弁論の体を為していない」と思っています。何よりもそれぞれの節で、「主張」はあるのですが、論証が資料などの紹介だけで、その言説資料の何を争点にしたいのかはっきりしないのです。準備書面の第7、「私たちの主張の根底にある考え」(1)、(2)、(3)、(4)などは、単なる崔勝久氏の「杜撰な政治的主張」を並べたものでしかありません。さしあたりその(1)と(4)を簡単に問題にしておきます。

①、「原発は人類と共存できない」「原発事故は人類の歴史のなかで繰り返されてはならない」とありますが、原発は「Atoms for Peace(=核の平和利用)」を謳った、1953年のアイゼンハワー米国大統領による国連演説からはじまったのですが、実は米・ソ(ロシア)東西陣営巨大国の核兵器保有を正当化するためのものだったのです。両巨大国の権力者が世界支配のためにその保持を望んだものならば、核実験反対を挙行国政府に「要請」して来たのと同じく、事故を契機にその国策推進政府に廃絶を要求しなくてはなりません。その国策に協力してきたGE、日立、東芝の3社を問題にするなら、その「協力の構造」を暴く必要があります。「人類と共存できるか出来ないか」など知ったことではなく、人々への被曝を強要する政府や、被曝労働を「強制」している原発企業の実態を暴いて訴える必要があります。「原発は人類と共存できない」との言葉だけを判事の前に並べてもその論証にはならないのです。
SMI原発事故(79年)、チェルノブイリ原発事故(86年)、福島第一原発事故(2011年)の過酷事故によって「立法事実そのものの変更がなされた」とありますが、事故が起これば論証抜きに立法事実が変更されるのですか? 立法当時の国会も、岸内閣も、苛酷事故の結果を日米研究機関による「事故被害賠償シュミレーション」で充分承知していました。だからそのシュミレーションの詳細を隠蔽したのです。そもそもこの立法事実とは、「被害者の保護」と「原子力産業の健全な発達」を「調和させ、共に実現しうる」とした『原賠法』のことだと思いますが、崔氏たちによる本人訴訟では「原賠法に基づく賠償請求はしない」ということだったのではありませんか。国策に協力する企業への責任追及はどこかに消えてしまいますね。
②、潜在的核兵器保有を誰が望んできたのですか。日本の歴代保守政権ではなく「日本社会」ですか?
③、「全世界的な差別の構造」の実体は? 「差別」を連呼しますが、「差別」を通じて誰が、何を、“どんな利益を上げることを”実現しようとしているのですか? 「差別」によって人を傷つけることが目的なのですか? 「差別」は自分の溜飲を下げる心理的作用の為ですか?

④、被害をもたらしたものは誰か? 加害者とは誰か? つまり、その原発政策を推進する実体的担い手の解明がまったくないか、誤魔化しているかです。
>日本は敗戦後、植民地支配した歴史の清算を十分に果たしてこなかったために、歴史における被害者であるとともに加害者の立場に立つという両面性を持ち続けてきました。<(本人訴訟第1準備書面p21)

この文章の前段で崔氏によって「具体的ケースの解明抜きに」書かれた原爆被投下直後の広島での「悲しい話」などは、右翼政治家石原慎太郎などによって在日朝鮮・中国人の刑法犯に対して投げつけられる「犯罪者のDNAを持つ者」との罵倒と同じ行為だと思います。そもそも原発メーカーのフクシマ核災害の責任追及において、福島を中心とする被災被害者のほとんどが日本人である訴訟で、「日本の加害者性」を自覚させてどうするのでしょう。あたら原告内に多数の日本人と少数のマイノリティ間の反目を作りだすだけです。もしくはマイノリティとしての自分への道徳的優位性(?)をもって原告内のイニシアティブを確立しようとの政治的な思惑でもあるのか? なんとも理解できない崔前事務局長による準備書面です。

この主張は下にペーストした「オバマ大統領への手紙」を下敷きにした主張ですが、出来の悪い改竄です。手紙では「天皇」とか「日本政府」と言った戦争や侵略政策を進めた統治者(赤字)と、その政策の犯罪性を見抜くことが出来ずに動員されてしまった日本国民(青字)とを区別して、その“責任の質的違い”を示しています。ところが崔氏は、まったくそうした行為実体の区別に注意を払うことなく、日本人を「被害者であるとともに加害者」と一括りにして一つの民族の「両面性」というふうに、手紙と異なった理解をしています。これでは「国益」の名の下に国民を「動員」し、侵略・戦争政策を遂行した統治権力者の責任は曖昧にされ、「動員されてしまった庶民」においても責任の取りようが無く、「道徳的な謝罪」というものになってしまいます。民族(マイノリティも同じ)の名の下の責任追及は、統治行為者の責任を免責するものです。

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『原爆投下は米国の戦争犯罪および日本の戦争責任の隠蔽に使われた』
(広島の8つの平和団体からのオバマ大統領への手紙 )Friday, February 28, 2014
URL;原爆投下は米国の戦争犯罪および日本の戦争責任の隠蔽に使われた
http://peacephilosophy.blogspot.com/2014/02/blog-post_28.html

>かくして終戦の詔勅は、「非人道的な原爆のゆえに降伏せざるをえなかった」という神話を国民に信じさせ、戦争犠牲者意識だけを煽ることによって、天皇自身をはじめとする戦争指導者の戦争責任はもち ろん、日本国民がアジア太平洋のさまざまな人たちに対して負っている責任をも隠蔽する手段の一つに「原爆投下」を利用したのです。トルーマン大統領が、戦争終結を早め「多数の民間人の生命を救うため」に原爆を投下したと述べて、アメリカ政府が犯した重大な戦争犯罪の責任をごまかす神話を作り上げたと同様に、日本政府もまた原爆投下を政治的に利用して、自国の戦争責任を隠蔽しました。<
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今また、突如として「事務局総辞職」を語り始めたのはなぜですか? 総会での論議を避けたいという事ですね。ほんとにいろいろとのりきり策(これも「政治的センス」ですか!)を考え出しますね。任期半ばでの「事務局の機能不全」を理由にした総辞職は、事務局多数派(?)が会計執行権を独占する為に、抵抗する事務局少数派(?)の2人を排除したいだけというのが見え見えです。 それでいて海外原告も含む選挙ですか! しかもOさんが何度聞いても「訴訟の会」の現在の実態、とりわけ海外原告の実態についてまったく明らかにされませんね。選挙権を持つ原告をどう確定するのですか? 要するに、事務局内では3対2で決めても、その内実が一般原告に明らかにされてしまい、“会計執行権の独占的執行”に支障をきたすから、内実不明の海外原告票を「動員」して事務局を「崔派で固めよう」ということですね。“事務局少数派(?)の朴現事務局長への不信”は、“事務局員との論議を拒否し、崔前事務局長の「指示を待つ」だけ”だから「事務局長にふさわしくない」とキチンとその理由を表明しています。
また、「各国語に翻訳して」とか言っていますけど、これまでまったくやってきませんでしたよね。前回の選挙以降まったく無視してきた人たちに、何が訴えられるのですか? 論議抜きの選挙で原告は単なる1票ですね。ほんとに民主主義的論議を否定する厚顔無恥な主張です。総会選挙権は「これまで一度でも訴訟の会MLに投稿したメンバーに限る」と限定することを提案します。少なくともこの間の経過を知らない人の「選挙権」を認めるわけにはいきません。それが真の意味での民主主義の実現です。

11月11日 在米原告 SAM KANNO