モンゴル編

「原発メーカー訴訟の会」事務局長 崔 勝久

モンゴルはアメリカと日本との間で(後に韓国が初めて原発を輸出する相手国であるUAE(アラブ首長国連合)も参加)、世界有数のウラン埋蔵量を持つ国としてウランの採掘・輸出・使用済核燃料の受け入れ・埋蔵という一貫したCFS(包括的燃料サービス)構想を秘密裏に進行させていたことが毎日新聞で暴露されました(2011年5月9日)。関係国はそれを否定し、モンゴル大統領は国連の場で海外から使用済核燃料を受け入れることはないと宣言したものですから、多くの人はそれで問題は解決したと思ったようでした。しかしそのことに疑いをもっていた私は、まず韓国を経由してモンゴルに行くことを決断し、NCCの支援を受けて出発しました。

モンゴルでは緑の党の元党首のセレンゲ女史一人しかアポがとれなかったのですが、彼女との話し合いから多くの知己を得るようになり、フェイスブックに投稿する多くの若者との接触の中で現地での記者会見が実現し、ウランバートル・ソウル・東京の3都市でインターネットによる共同記者会見を11月11日に実行する話が沸き起こりました。案の定、モンゴルでは運動圏の人は、自国から持ち出したウランの「ゴミ」を海外からの使用済み核燃料として受け入れて埋立てることと原発の建設は国の既定路線として批判的にみていました。私はソウルに再び戻り、モンゴルの人たちの意向を伝えて韓国側の賛同も得て、ついに早稲田の日本キリスト教会館で3者共同記者会見を行うことになり、三つの都市をインターネット回線でつなげた記者会見を具体化しました。

翌年1月に横浜での脱原発世界会議に出席したCNFEはピースボートに依頼してモンゴルから緑の党のセレンゲ女史、韓国からアジア最大の環境団体である環境運動聯合の金恵貞(キム・へジョン)代表と脱原発を謳う学者グループを組織していた李元榮(イ・ウォニョン)教授を招き、国際連帯の可能性と原発立地地域の問題点を論議するシンポジュームをもちました。それがきっかけになり、6月に「下北半島地域スタディ・ツアー」を計画したところ、日本国内と韓国・スイスから50名を超える人が参加してアサコハウスをはじめ原発立地地域の実情を見て回り、最終日は函館で200名のデモを行うことになりました。

2012年の7月に私は、モンゴルの国会で小型原子炉の建設と4ヶ所の使用済核燃料の埋立施設のプロジェクト予算が通過したという消息を大阪大学の今岡准教授から教わりすぐにモンゴルに飛びました(現在、施設の目的を変えたということまではわかっているのですが、その後の詳細は不明です。しかしオリンピックを誘致し、原発を作ることは既に公表されています)。前年出会った人たちが私を迎えてくれ、新たに11月11日を迎えてアジアにおける実際の反原発(ウラン開発を含めて)運動をはじめようという提案がなされました。